駆け抜けるように過ぎ去った2020
2020年は慌ただしい年だった。1年にも及んだ受験勉強の集大成、初めての大きな挫折、新しいスタート、初めてのオンライン授業(正確には違う気もするけど...)、だいすきな人とのお別れ.......
新しい生活様式にもずいぶん慣れたものだ。
この1年様々な感情がわたしの中で渦巻き、まわりのひとにも沢山迷惑をかけたと思う。だけどその一方で、この1年でよりいっそう周りを頼れない人間になってしまった。
そして、私にとって2020年ははじめて”死”をちゃんと理解し、よりいっそう”死”に対して謎を抱える年になった。
今年の夏、おばあちゃんが89年の生涯に幕を閉じた。この悲しみを言葉にできず、友人や家族、誰にも頼れずただ1人、静かに涙をこぼした。亡くなった日も、その次の日も、別れの式でも、その後の移動中も、おばあちゃんとの思い出を懐古する夜も。たくさん過去を振り返っては1人泣いた。これまで”死”というものをふわっと捉えていたわたしには、”死ぬ”ということ、人はいずれ必ず”死”を迎えること、わからないことだらけだった。実際、おばあちゃんが亡くなった今も実感が沸かず、おばあちゃんがこの世界に居ないことに対しての疑問をもってさえいる。
この世の中は何かがおかしいしわからないことだらけだ。上手く生きている人だけが得をするし、普通に生きていても息が詰まるような日が沢山ある。男女平等を掲げているにも関わらず男女差別はなくならないし、女性に優しい社会なんて程遠い。LGBTの理解を、と言っているにも関わらず、法律上の色々では認められていなかったりもする。私たちが住むこの世界は矛盾で溢れている。コロナウイルスが蔓延してからの政治家、若者の言動、全てが矛盾している。この世界が成り立っているのがふしぎなくらいだ。
2020年、この1年は私にとって新しい生活が始まる年だった。この1年間、新しいことに戸惑い、もがき苦しみながらも精一杯生きた。なのに、まるで空白の1年だったようなそんなふしぎな感覚におちいっている。
もっとなにか成し遂げられたんじゃないか、もっとなにかに挑戦できたんじゃないか、色々後悔が残る年にもなったけど、私はこの1年があったからこそ夢に向かう覚悟ができたと思う。『コロナウイルスに立ち向かう』という名目で沢山医療現場の様子が取り上げられたし、改めて医療従事者の重要性がわかる1年だったと思う。
誰もが悔やむこの1年を、自分自身を成長させるばねとして大きな一歩を踏み出そう。
m.
コロナウイルスによって苦しい思いをした方々も沢山いらっしゃると思います。どうかご自愛ください。いつかこの世界にほんものの春が来ることを願って。
悲しみと期待が入り混じる、春。
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春は出会いと別れの季節と言うけど、私は特にそれを感じることが多かった人生でした。(まだ19年しか生きてないんだけれども)
中学生にあがる春。
大好きな福岡を離れて大阪へ。
博多弁が全国共通だと思ってた田舎者(私)が都会の大阪(実際住んだら田舎だった)へやってきて、話し方、イントネーションが全然違う異国に来たような、そんな気分。学校は初日から時間を間違えて遅刻(そのおかげで席は先生に教えて頂けて、迷うこともなく無事着席)、そして極度の人見知りを発揮。誰にも話しかけられず教室の雰囲気にのまれ、黙ってやり過ごした入学初日。できることなら福岡に帰りたい...なんて思ってたあの日。
2日目には話しかけてくれた子が居たけど、群れから外れることを恐れた私は必死に話を合わせてた。関西の子はきついイメージがあったから(ごめんなさい)、アイドル好き?と勢いよく聞かれてうなずいてみたり、自分とは合わないと思った子でも仲良くしてみたり...今思い返せば相当最低な事した。でもそれくらい、皆に溶け込むのに必死で、入学したての頃は毎日毎日不安で息苦しかった。
ずっと下を向いたり、黒板を見つめて長い待ち時間をやり過ごしていた私は、入学して2、3日目に初めて席が近かった女の子と目があった。それまでは目があっても無視されるのが当たり前だと思ってたから、急に怖くなって逸らそうとした。だけどその子はにっこり微笑みかけてくれた。その時に私の関西人への印象が変わった。
いとこの影響もあって入部したバレー部。小学校を卒業したばかりの私にはわからないことだらけで、生まれた年が1、2年違うってだけで何でそんなにも気を遣わなければならないのか、なんで先生や先輩の話を聞くときはじっと目を見ないといけないのか、入部したての頃からすでにバレー部独自の制度やルールに疑問を抱いていた。いとこ(先生とも後輩とも仲良し)のおかげで、先生や先輩には声をかけていただけた。でも同期に関しては入部当時、絶対仲良くなれない、こんなに人数も多い中で(新1年17人)絶対にやっていけないって思ってた。でも気付いたら仲良くなってた。いっぱいいっぱい喧嘩して、心の底から嫌いになったこともあった。だけど、2年半もあの理不尽な世界でやってこれたのは、紛れもなく皆のおかげだと思う。納得できる理由から、全く理解できない理由まで、色々な理由で何回もクラブ停止になって、何度も何度も話し合って、先生に謝りに行った(今考えるとなんで謝らないといけなかったかは謎)。話し合いは9.5割の確率で喧嘩になるし、“辞めたい”って思ったのは1度や2度じゃなかった。練習時間が短い、場所が狭いのを理由に練習に入ることすら許されなかった環境。練習中、トイレと偽って何回も練習を抜け出して泣きじゃくった日々。辛くて、理不尽な世界に居座り続けている自分に腹が立って、何もできない自分が悔しかった。そんな中で、少しでも上手くなりたい、最低な先生を見返してやるんだって向上心を持ち続けられたのはずっと応援してくれてた家族のおかげ。初めての公式戦の前はわざわざ早起きして練習に付き合ってくれて、ユニフォームをもらえたときに私よりも喜んでくれたまま。ろくに練習に参加させてもらえないのを知って、クラブチームに通わせてくれて、更に送り迎えまでしてくれたまま。お母さん同士で先生に抗議しにも行ってくれたなあ(笑)そのあとうつとかなんとかでしばらく休んでた顧問は心の底から意味がわからない、それならば私たち生徒だってずっと鬱だった。
自分が気に入ったシューズ、ソックス、練習着、ジャージ、もろもろ揃えてくれたとーちゃん。
試合の時いっぱい応援してくれた妹たち。
沢山迷惑かけたけど、最後まで続けさせてくれてありがとう。
初めて迎えた受験は沢山周りの人に支えられて、応援してもらえて、それが嬉しくてどんなに辛くても走り続けられた。
受験前の講習、ぜんぶ受けさせてくれたとーちゃん。受験直前、塾に缶詰め状態だった私に少しでも元気を、と毎日お弁当を作ってくれたまま。
受験勉強の為に部屋を譲ってくれて、誕生日には大好きな菅田ちゃんいっぱいの色紙を作ってくれた妹たち。
そして長い長い塾の授業を一緒に頑張った友達。彼女たちがいなかったら確実に挫けてたと思う。1ランク難しい問題を受験しないといけなかった私に、沢山のエールと励ましをくれた皆は、私にとって一生大切にしたい友達です。心の底からそこの塾にはいって良かったって思う。塾長や先生たちも本当に優しくて、いつも応援してくれた。塾長は、行事や受験前には温かいメッセージ付きのお菓子をくれたり、自習に行った時も頑張ってるねってご褒美くれたり、いつも生徒のことを考えてくれました。本当にいい塾に入ったなあとつくづく思います。
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こうして頑張ってがんばって、期待しかなかった憧れの高校でのJK Life。想像以上に現実は厳しくて、ただただ時間に追われて一瞬で過ぎた高1。バレー部に入部したものの、練習がきつい上に人間関係が上手くいかず退部を決意。決意してから実際辞めるまでの4ヶ月。本当に苦しい事ばかりで、ペアの優しい先輩に毎日毎日励ましてもらいながら耐え忍んだ。きつい先輩からの心ない言葉、同期との実力の差、中学時代の練習量の差が大きく出たなあと感じる日々。でも一時期でもバレー部に身を置いた事は後悔していない。中途半端ではあったけども、それだけ大きく成長できたから。そして自分を持っていて、大きな学校という組織に自分の意見をしっかり言える素敵な先生に出会えた事。先生は時には優しく時には厳しく、私を強くしてくれた。見た目で怖い人と見られがちだけど、本当は優しい先生。出会えてよかったです。退部するにあたり背中を押してくれたおばあちゃん、職員室で辞めたいと顧問の先生に伝え泣きじゃくってた私をみて、そのあと声をかけてくれた担任の先生にも感謝したい。
入学前のクラス発表の日、教室にたった1人で居た女の子。顔を見てあまりの美人さに衝撃を受け、速攻教室を出たあの日だけは本当にずっと忘れられない(笑) 部活ばかりの辛い日々に、明るい光を照らしてくれてありがとう。どんな時だって嫌な顔ひとつ見せず話を聞いてくれたからこそ、毎日学校に行けてたんだと思う。本当に感謝してます。
1年のとき以上に高校生らしいことをした高2。高校でできた友達との初めてのお泊まり、昼休みは恋愛リアリティショーをみて盛り上がって、体育はクラスが離れちゃった1年生のときの仲良しちゃんとも一緒で、修学旅行は念願の沖縄で...楽しいことを沢山した1年間。
ちょっと時間ができてバイトをしてみたり、貯めたお金で初めて1人で九州に行ったり、沢山の社会勉強ができた1年でした。
自分でもびっくりするぐらい一瞬で友達ができて、初っ端からずっと楽しかった高3。グループ関係なく誰とでも仲良いクラスの女の子たちは本当に居心地が良かった...時間に追われる感覚は本当になかったのに、楽しい毎日は本当に一瞬だった...😭辛い受験も、挫けながらも最後まで乗り越えられたのは、一緒に頑張ってくれた同じクラスの女の子たちの存在が大きすぎるほど大きかった...
癒しと程よい焦りをくれてありがとう。みんなが一生懸命勉強する姿をみて、自分も頑張ろうって思えました。みんな本当に大好きです。
それから、2年間も担任を持ってくれた先生。1個良い大学を見つけて志望校はそこでいいやってなってた自分に、沢山の大学を紹介してくれて、自分の時間を割いてまで、私がわかるまで勉強を教えてくれた先生。時には厳しい言葉も言ってくれて、その時そのときに合った言葉をちゃんと言ってくれる先生には本当に頭が上がりません...最後、結果を出せなくてごめんなさい。本当に先生が担任で良かったです。
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最初授業受けるのが本当にしんどかった関西弁も今は違和感無く使いこなせるようになりました。博多弁も布教(?)できて、大阪が嫌だからという理由で福岡に帰りたかった自分はもう居ない。たった6年だけど、大阪の世界を垣間見れてよかったとさえ思っています。
大阪で出来た友達、みんなに出会えて良かった。
そして、大阪での生活を経て、
私は人付き合いが苦手な方なんだと、今更ながら気付きました。大切にしたいとは思っていても、ほとんどの場合は一方通行、片思いで関係が切れちゃう事が多くて、言い訳になるのかも知れないけど、それが原因(?)で傷付くのを恐れて、大好きって言ってくれる子でも疑っちゃったり、冷たいことを言ってしまってるかもしれない。私の人生これからだって割り切れるようになれば楽なのかもしれない。だけど私は出会った人みんなが大切でずっと長く付き合って行きたいと思うから。これからも私らしく、のんびりと周りの人たちとの関係を温めて行こうと思う。
だけど決して、自分の首を絞めることのないように。
今までありがとうございました、大阪。
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ただいま、福岡。
18年目の春。今年も私は沢山の出会いをする。
と、気合いを入れて迎えた18年目の春。世界は残酷にも、明るい春を迎えることを許さなかった。
沢山の人と出会うはずだった学校にもいけず、苦しみもがくスタートとなった。
それでも時は流れ、あっという間に2ヵ月経ち、やっとの思いで沢山の人との出会いを迎えた。人付き合いが苦手な上に、完全に関西人気質になっていた私は、馴染みの故郷・福岡でも馴染むのに苦労した。
そんな中でも素敵な友達、素敵な先輩にも出会った。
沢山の初めてに戸惑い、体が悲鳴を上げながらもなんとか乗り切った1年。
そして19年目の春。またもや訪れた別れの春に、私は心の内側に密かにできた傷に数日苦しめられることとなった。このお話はまたいつか😌
春。それは厳しい寒さを越えた者のみに訪れる至福の時期。暖かさとともに悲しみや期待を運んで、今年もまた過ぎ去っていく____
m.
ここまで長くなるとは想定外でしたが、この長く拙い文章を最後まで読んでくださった方、ありがとうございました!
【和訳】알로하오에(Aloha Oe)/Cherry Bullet
[지원]푸른 바다가 날 다시 부르고 있어
青い海が僕をもう一度呼んでいるよ
[유주]쭈빛 하늘 아래 온몸을 던지고 싶어
藍色に染まった空の下、全身を委ねてみたい
[메이]내리쬐던 태양도 시원한 바람도
照りつける太陽も 清々しい風も
[보라]여전히 내 마음을 설레게 하는데
相変わらず私の心をどきどきさせるのに
[레미]저 코코넛 나무는 그대로 있는데
あのココナッツの木はそのままあるんだけど
[체린]늘 곁에 있던 넌 어디로 간 거야
いつも傍に居た君はどこに行ってしまったの
[해윤]하늘 위로 쏟아지는 와인빛 노을 너머
空の慰めが降り注ぐワイン色の夕焼けの向こう側
[메이]그해 여름 그때로
その年の夏へ
[보라]여름아 부탁해
夏よ、お願いね
[ALL]Alo Aloha Oe
[보라]다시 여름아 부탁해
もう一度夏よお願いね
[ALL]Alo Aloha Oe
[보라]별빛 아래
星明かりの下
[해윤]다시 만나길 바라 한여름 밤에
もう一度会いたいと願う真夏の夜に
기적처럼 너와 나
奇跡のように君と私
[유주]피어올라 Bloom Bloom Bloom
立ち上がって 咲き誇れ
[ALL]Alo Alo Aloha Oeee
Alo Alo Aloha Oeee
[보라]남국의 열기처럼
南国の熱気のように
[체린]아직까지도 뜨거운걸
未だに熱いの
[보라]둘이 걸었던 해변
2人きり歩いた海辺
[지원]너머 저물녘 떨어지는 꽃
向こうの夕暮れ方 散り落ちる花びら
별똥별 아래 새겼던 이름은
流れ星の下 刻んだ名前は
[메이]파도에 떠내려가 버렸지만
波に流されてしまったけれど
[해윤]저 무역풍을 타고 훨훨훨 날아가
あの風に乗ってひらひら飛んでいく
[체린]다시 한번 둘만의 축제를 열어
もう一度だけ2人だけの祭りを始めよう
[유주]하늘 위로 쏟아지는 와인빛 노을 너머
空に広がるワイン色の朝焼けの向こう側
[메이]그해 여름 그때로
その年の夏に
[보라]여름아 부탁해
夏よお願いね
[ALL]Alo Aloha Oe
[보라]다시 여름아 부탁해
もう一度、夏よお願いね
[ALL]Alo Aloha Oe
[보라]별빛 아래
星明かりの下
[해윤]다시 만나길 바래 한여름 밤에
もう一度会えるように願う 真夏の夜に
기적처럼 너와 나
奇跡のように君と私
[유주]피어올라 Bloom Bloom Bloom
立ち上がって 咲き誇れ
[ALL]Alo Alo Aloha Oe Alo Alo Aloha Oeee
[유주]타박타박 모닥불 너머로 속삭였던 낭만들
ぱちぱち焚き火の向こうに囁いていた甘い言葉
[보라]황홀한 기억 너머로 그해 여름 그때로
うっとりした記憶の向こう、その年の夏に
[해윤]여름아 부탁해
夏よ、お願いね
[ALL]Alo Aloha Oe
[해윤]다시 여름아 부탁해
もう一度 夏よ、お願いね
[ALL]Alo Aloha Oe
[보라,해윤]별빛 아래
星明かりの下
[지원]다시 만나길 바라
もう一度会えるように願う
[지원,해윤]한녀름 밤에 기적처럼 너와 나
真夏の夜に 奇跡のように君と私
[메이]피어올라 Bloom Bloom Bloom
立ち上がって 咲き誇れ
[ALL]Alo Alo Aloha Oeee Alo Alo Aloha Oeee
※ハングルの打ち間違え、意訳、訳間違い多々あると思われますが、勉強中ですのでご容赦ください。
撫子色が似合う彼
今日も彼の友人が集まって、彼が出演していた番組のVTRをみんなで観る。
日本が誇る大物芸能人、志村けんさん。
かれは撫子色がほんと
日本国民はまだ、彼がもうこの世界を去っていることを受け止め切れていない。つまり、日本中で志村ロスが続いているということである。
撫子色の衣装がよく似合う彼。
今も煌々としていたかもしれない彼の生命は、あのウイルスに侵され、瞬く間に奪い去られた。あのウイルスが拡大しなければ。ウイルスが入ってくる前に海外からの全ての空路や海路を一時絶っていれば。日本中がいち早く対策を取っていれば。彼が居なくなることなんてなかったのかもしれない。そんな思いが私の中で溢れては止まらない。
若い頃からお茶の間に笑いをもたらし、全国に笑いを提供してきた彼。動物愛に溢れていて、動物からも沢山の愛を受ける彼。
彼の死は人間界だけでなく動物界にまでも悲痛をもたらしただろう。
どこからともなく現れ、多くの命を奪ったアイツ。多くの学生の青春をいとも簡単に崩してしまったアイツ。きっと世界中が存在を現さないアイツに罰を与えたいと願っているだろう。
誰にも止めることのできないアイツは瞬く間に世界中を駆け巡り、流行から早3ヶ月経った今日も、何処かで罪のない人々を苦しめているのだろうか。
私はアイツを一生忘れない。
そして志村さん。全国民の記憶の中で生き続けて欲しい。いや、きっと本人が嫌がったとしても周囲の人間は決して彼を忘れず、記憶に留めておくだろう。
沢山の笑いをありがとう。志村けんさん。
乙女色の記憶
2度目だ。
君が僕の夢に現れるのは。
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小学生の頃、君と出会い恋をした。
淡い淡い恋心。
あの頃の僕には、未来なんて考えられなかった。
ただひたすらに君を想っていた。
だけど、どんなに想っても絡まらなかった僕らの赤い糸。
時を経て僕の夢に現れた君。
君は随分、おとなになっていたね。
この夢たちにはこんな意味があるんだって。
“恋愛運アップ”
君も素敵な人に巡り合って、幸せになってるといいな。
君がどこにいても笑顔で過ごせますように、僕はそう願いながら今日も眠りにつく。
乙女色:乙女椿の花のような黄みをふくんだ淡い赤色のこと。乙女椿の花言葉は”控えめな美”や“控えめな愛”。