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自然と言葉と写真が好きな限界大学生(20)

悲しみと期待が入り混じる、春。

春は出会いと別れの季節と言うけど、私は特にそれを感じることが多かった人生でした。(まだ19年しか生きてないんだけれども)

 


中学生にあがる春。

大好きな福岡を離れて大阪へ。

 


博多弁が全国共通だと思ってた田舎者(私)が都会の大阪(実際住んだら田舎だった)へやってきて、話し方、イントネーションが全然違う異国に来たような、そんな気分。学校は初日から時間を間違えて遅刻(そのおかげで席は先生に教えて頂けて、迷うこともなく無事着席)、そして極度の人見知りを発揮。誰にも話しかけられず教室の雰囲気にのまれ、黙ってやり過ごした入学初日。できることなら福岡に帰りたい...なんて思ってたあの日。

2日目には話しかけてくれた子が居たけど、群れから外れることを恐れた私は必死に話を合わせてた。関西の子はきついイメージがあったから(ごめんなさい)、アイドル好き?と勢いよく聞かれてうなずいてみたり、自分とは合わないと思った子でも仲良くしてみたり...今思い返せば相当最低な事した。でもそれくらい、皆に溶け込むのに必死で、入学したての頃は毎日毎日不安で息苦しかった。

ずっと下を向いたり、黒板を見つめて長い待ち時間をやり過ごしていた私は、入学して2、3日目に初めて席が近かった女の子と目があった。それまでは目があっても無視されるのが当たり前だと思ってたから、急に怖くなって逸らそうとした。だけどその子はにっこり微笑みかけてくれた。その時に私の関西人への印象が変わった。

いとこの影響もあって入部したバレー部。小学校を卒業したばかりの私にはわからないことだらけで、生まれた年が1、2年違うってだけで何でそんなにも気を遣わなければならないのか、なんで先生や先輩の話を聞くときはじっと目を見ないといけないのか、入部したての頃からすでにバレー部独自の制度やルールに疑問を抱いていた。いとこ(先生とも後輩とも仲良し)のおかげで、先生や先輩には声をかけていただけた。でも同期に関しては入部当時、絶対仲良くなれない、こんなに人数も多い中で(新1年17人)絶対にやっていけないって思ってた。でも気付いたら仲良くなってた。いっぱいいっぱい喧嘩して、心の底から嫌いになったこともあった。だけど、2年半もあの理不尽な世界でやってこれたのは、紛れもなく皆のおかげだと思う。納得できる理由から、全く理解できない理由まで、色々な理由で何回もクラブ停止になって、何度も何度も話し合って、先生に謝りに行った(今考えるとなんで謝らないといけなかったかは謎)。話し合いは9.5割の確率で喧嘩になるし、“辞めたい”って思ったのは1度や2度じゃなかった。練習時間が短い、場所が狭いのを理由に練習に入ることすら許されなかった環境。練習中、トイレと偽って何回も練習を抜け出して泣きじゃくった日々。辛くて、理不尽な世界に居座り続けている自分に腹が立って、何もできない自分が悔しかった。そんな中で、少しでも上手くなりたい、最低な先生を見返してやるんだって向上心を持ち続けられたのはずっと応援してくれてた家族のおかげ。初めての公式戦の前はわざわざ早起きして練習に付き合ってくれて、ユニフォームをもらえたときに私よりも喜んでくれたまま。ろくに練習に参加させてもらえないのを知って、クラブチームに通わせてくれて、更に送り迎えまでしてくれたまま。お母さん同士で先生に抗議しにも行ってくれたなあ(笑)そのあとうつとかなんとかでしばらく休んでた顧問は心の底から意味がわからない、それならば私たち生徒だってずっと鬱だった。

自分が気に入ったシューズ、ソックス、練習着、ジャージ、もろもろ揃えてくれたとーちゃん。

試合の時いっぱい応援してくれた妹たち。

沢山迷惑かけたけど、最後まで続けさせてくれてありがとう。

初めて迎えた受験は沢山周りの人に支えられて、応援してもらえて、それが嬉しくてどんなに辛くても走り続けられた。

受験前の講習、ぜんぶ受けさせてくれたとーちゃん。受験直前、塾に缶詰め状態だった私に少しでも元気を、と毎日お弁当を作ってくれたまま。

受験勉強の為に部屋を譲ってくれて、誕生日には大好きな菅田ちゃんいっぱいの色紙を作ってくれた妹たち。

そして長い長い塾の授業を一緒に頑張った友達。彼女たちがいなかったら確実に挫けてたと思う。1ランク難しい問題を受験しないといけなかった私に、沢山のエールと励ましをくれた皆は、私にとって一生大切にしたい友達です。心の底からそこの塾にはいって良かったって思う。塾長や先生たちも本当に優しくて、いつも応援してくれた。塾長は、行事や受験前には温かいメッセージ付きのお菓子をくれたり、自習に行った時も頑張ってるねってご褒美くれたり、いつも生徒のことを考えてくれました。本当にいい塾に入ったなあとつくづく思います。

こうして頑張ってがんばって、期待しかなかった憧れの高校でのJK Life。想像以上に現実は厳しくて、ただただ時間に追われて一瞬で過ぎた高1。バレー部に入部したものの、練習がきつい上に人間関係が上手くいかず退部を決意。決意してから実際辞めるまでの4ヶ月。本当に苦しい事ばかりで、ペアの優しい先輩に毎日毎日励ましてもらいながら耐え忍んだ。きつい先輩からの心ない言葉、同期との実力の差、中学時代の練習量の差が大きく出たなあと感じる日々。でも一時期でもバレー部に身を置いた事は後悔していない。中途半端ではあったけども、それだけ大きく成長できたから。そして自分を持っていて、大きな学校という組織に自分の意見をしっかり言える素敵な先生に出会えた事。先生は時には優しく時には厳しく、私を強くしてくれた。見た目で怖い人と見られがちだけど、本当は優しい先生。出会えてよかったです。退部するにあたり背中を押してくれたおばあちゃん、職員室で辞めたいと顧問の先生に伝え泣きじゃくってた私をみて、そのあと声をかけてくれた担任の先生にも感謝したい。

入学前のクラス発表の日、教室にたった1人で居た女の子。顔を見てあまりの美人さに衝撃を受け、速攻教室を出たあの日だけは本当にずっと忘れられない(笑) 部活ばかりの辛い日々に、明るい光を照らしてくれてありがとう。どんな時だって嫌な顔ひとつ見せず話を聞いてくれたからこそ、毎日学校に行けてたんだと思う。本当に感謝してます。

1年のとき以上に高校生らしいことをした高2。高校でできた友達との初めてのお泊まり、昼休みは恋愛リアリティショーをみて盛り上がって、体育はクラスが離れちゃった1年生のときの仲良しちゃんとも一緒で、修学旅行は念願の沖縄で...楽しいことを沢山した1年間。

ちょっと時間ができてバイトをしてみたり、貯めたお金で初めて1人で九州に行ったり、沢山の社会勉強ができた1年でした。

自分でもびっくりするぐらい一瞬で友達ができて、初っ端からずっと楽しかった高3。グループ関係なく誰とでも仲良いクラスの女の子たちは本当に居心地が良かった...時間に追われる感覚は本当になかったのに、楽しい毎日は本当に一瞬だった...😭辛い受験も、挫けながらも最後まで乗り越えられたのは、一緒に頑張ってくれた同じクラスの女の子たちの存在が大きすぎるほど大きかった...

癒しと程よい焦りをくれてありがとう。みんなが一生懸命勉強する姿をみて、自分も頑張ろうって思えました。みんな本当に大好きです。

それから、2年間も担任を持ってくれた先生。1個良い大学を見つけて志望校はそこでいいやってなってた自分に、沢山の大学を紹介してくれて、自分の時間を割いてまで、私がわかるまで勉強を教えてくれた先生。時には厳しい言葉も言ってくれて、その時そのときに合った言葉をちゃんと言ってくれる先生には本当に頭が上がりません...最後、結果を出せなくてごめんなさい。本当に先生が担任で良かったです。

最初授業受けるのが本当にしんどかった関西弁も今は違和感無く使いこなせるようになりました。博多弁も布教(?)できて、大阪が嫌だからという理由で福岡に帰りたかった自分はもう居ない。たった6年だけど、大阪の世界を垣間見れてよかったとさえ思っています。

大阪で出来た友達、みんなに出会えて良かった。

 


そして、大阪での生活を経て、

私は人付き合いが苦手な方なんだと、今更ながら気付きました。大切にしたいとは思っていても、ほとんどの場合は一方通行、片思いで関係が切れちゃう事が多くて、言い訳になるのかも知れないけど、それが原因(?)で傷付くのを恐れて、大好きって言ってくれる子でも疑っちゃったり、冷たいことを言ってしまってるかもしれない。私の人生これからだって割り切れるようになれば楽なのかもしれない。だけど私は出会った人みんなが大切でずっと長く付き合って行きたいと思うから。これからも私らしく、のんびりと周りの人たちとの関係を温めて行こうと思う。

だけど決して、自分の首を絞めることのないように。

 


今までありがとうございました、大阪。

 

 

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ただいま、福岡。

18年目の春。今年も私は沢山の出会いをする。

 

と、気合いを入れて迎えた18年目の春。世界は残酷にも、明るい春を迎えることを許さなかった。

沢山の人と出会うはずだった学校にもいけず、苦しみもがくスタートとなった。

それでも時は流れ、あっという間に2ヵ月経ち、やっとの思いで沢山の人との出会いを迎えた。人付き合いが苦手な上に、完全に関西人気質になっていた私は、馴染みの故郷・福岡でも馴染むのに苦労した。

そんな中でも素敵な友達、素敵な先輩にも出会った。

沢山の初めてに戸惑い、体が悲鳴を上げながらもなんとか乗り切った1年。

 

そして19年目の春。またもや訪れた別れの春に、私は心の内側に密かにできた傷に数日苦しめられることとなった。このお話はまたいつか😌

 

春。それは厳しい寒さを越えた者のみに訪れる至福の時期。暖かさとともに悲しみや期待を運んで、今年もまた過ぎ去っていく____

 

 

 

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ここまで長くなるとは想定外でしたが、この長く拙い文章を最後まで読んでくださった方、ありがとうございました!